Peligro?
危険地帯?

2009.09.01 / Peru (Pacasmayo~Trujillo) 本日自転車111km走行 : Total 13100km走行
天気:曇 自転車折りたたみ:1 パンク:3
朝飯→パン+バナナ 昼飯→ポヨプレート 夕飯→ポヨプレート / 宿→Casa de Ciclista ルーチョさん宅(フリー)

(English)
  Today I arrived at Torjillo.



(Español)
  Yo llegue a Torjillo.
 ここからチクラヨまで100kmくらい。チクラヨ周辺には、シパンや、シカン、トゥクメといった遺跡があるので、すっ飛ばすにはもったいないところではあるのですが・・・悩んだあげく、トルヒーヨに向かうことにしたのでした。

 さて、ペルー北部、ピウラ~チクラヨで90年代、数多くのチャリダーが追いはぎ強盗にあったらしい。そして、今、この間は警備が強化されたのか、以前ほどは危険地帯ではなくなっているらしい。が、変わってというか、現在は、チクラヨ以南にある、Paijanという町周辺がヤバイという。エクアドルのテナで会ったチャリダー夫婦にも忠告されていて・・・今日走るルートでは、このPaijanを突っ切らなければならないのだ。

 ドキドキしながら、砂漠道を走りはじめた。5時間ほどして、問題のPaijanに到着。どんだけ険悪な雰囲気の町なのかと思っていたのだが・・・あっけないほど普通の町。しかも、パンアメリカン沿いは車通りも人通りも多くて、とても襲われるような雰囲気じゃない。なぁんだ、気をもみすぎかぁと思ったら、急に腹が減ってきて、町外れで昼食を食べることにした。食事を済ませ、さぁこれからがんばって走るぞと、ペダルをこぎ始めたところ、後ろからポリスの車が・・・なんだろうと思って立ち止まると、「いいから走れ。しばらく伴走してやる」と。ポリスの車が伴走?やっぱりこの辺りは噂どおり危険地帯ってこと?なにはともあれ、ポリスが一緒に走ってくれるのであれば安心・・・って意外と後ろにポリスの車があるのって、妙な圧迫感があるんですよぉ、疲れたから休もうにも休めないし。そんな状態で、しばらく走っていたら、危険ゾーンから脱したのか、「いい旅をな!」と言い残して、ポリスの車はオイラを追い抜き、去っていったのであった。ちなみに、ここで追いはぎ強盗に襲われることはなかったんですが、犬にはしつこくからまれ、咬み付かれそうになり・・・違う意味でデンジャラスゾーンだったのでした。

 さて、このPaijanからしばらく、緑に囲まれた道が続く。周囲に障害物があるためか、風も弱まり、走りは快調・・・と思っていたら、再び、砂漠道となった。ゆるいアップ道が続く。風さえなければ余裕の道なのだが、向かい風がやっかいで。果たして、今日中にTorjilloに到着できるのか、心配に・・・実は道の途中に、El Brujoという遺跡があるらしいので、寄っていこうと思っていたのだが、行っている余裕がなくなってきた。それでも場所が分かれば、行くつもりではいたのに、気持ちに余裕がなかったせいか、案内板を見つけることができず、いつのまにやら素通りしてしまったようであった。

 向かい風と戦いながら、懸命に走っていると、次第に道の両側が騒がしくなってきた。やっとTorjilloが近づいてきたようだ。人口75万。ペルーでは三番目に人口を抱える街らしい。予想通り、バスやタクシーがガンガンに幅寄せしてくる。これがあるから都会走りは嫌い。さて、セントロに向けて走っていると、後ろのタイヤに違和感が・・・パンク・・・人通りの多い町中でタイヤ交換は、なるべくやりたくないのだ。一旦バラけないといけない荷物を持っていかれちゃわないか、心配なもんで。幸い、空気が少しずつ抜けていくタイプのパンクだったので、とりあえず、空気を入れて、騙し騙し走行。

 んでもって、Torjilloの街に入ったので、宿探しをしなくちゃなのですが・・・向かっているのは、ルーチョさんという方の家。このルーチョさんとは、面識もなにもないのだが、ルーチョさんの家、<カサ・デ・シクリスタ>という、オイラのような旅チャリダーを無料で泊めてくれるという家なのだ。南米には、この<カサ・デ・シクリスタ>は何件もあるらしい。コロンビアにもあったようなんですが、ボゴタやサン・オーグスティンといった、オイラが通らなかったルートにあったのでお世話にならなかったのでした(ん、どうやらカリにもあったらしい)。で、ルーチョさんですが、元自転車レーサー。ペルーのチャンピオンだったとのこと。今は引退して、奥さんと娘さんと暮らしているらしい。とりあえず、ルーチョさん宅の住所だけは聞いていたので、その住所便りに、何人もの人に聞きながら向かう。パンクした後輪の空気がなくなる直前、ようやく到着。が、呼び鈴をならすも、応答なし・・・えぇ、ひょっとして留守ってこと?お世話になれないのかぁ、とガッカリしていたら、扉が開いた。中から出てきたのは若い女性。ん、奥さんでもなさそうだし・・・娘さん?とか思っていたら、「私もサイクリストで、昨日着いたの。ルーチョは出かけて、今居ないけど、サイクリストなら歓迎だから、中に入って」と。彼女はフランス人のアメリ。カップルで南から南米を北上してきているらしい。自転車を入れ、二階にある部屋に案内される。ベッドがあり、電気(コンセント)もある。申し分なしです、ありがたいことです。

 早速シャワーを浴びさせてもらっていると、外から男の人の声が。どうやらルーチョさんが戻ってきた様子。シャワー室から出ると「いらっしゃい」と日本語で・・・思っていたより小柄なルーチョさんが温かく迎えてくれたのでした。ちなみに、入った時に記入する宿帳(?)のナンバーを見ると、オイラが1179番目の訪問客らしい。2000年からデータベース化されている訪問客リストを見せてもらうと、2008年までに、訪れた日本人は28人で総訪問者は1056人。一番多かったのが、Alemaniaで127人、2番目がfranciaで119人、3番目がUSAの94人。ちなみに2008年一年で見ると、訪れた日本人は3人で、この年の総訪問者は151人でした。う~ん、こうやって数値化されてるデータって・・・見てて面白い。さらに、ルーチョさんの宝物だという、これまで訪問した人たちが書き綴ったノートを見せてもらった。これ、情報ノートってワケではなく、<オレ達ってこんなチャリダーなんだゼ>自慢大会ノート。これを見ていたら、いろんな人たちが自転車で旅を楽しんでいるんだなぁと、なんだか心が熱くなってきてしまった。1年足らずの走りしかしていない、まだまだ、ひよっ子チャリダーですよ、オイラは。これからも、自転車でがんばるぞっと、と再び闘志に火がついたのでした。